🔰50代の生き方
30代後半から40代はメンタルに異常が出るほど仕事や私生活に奮闘しました。自分なりに頑張ったと一応思っています。
50歳からはアメリカ駐在妻生活。年齢による英語や生活への順応性の低下を実感しつつ、これからは頑張リ過ぎることなくマイペースで進んでいこうと決めた50代前半。
自分が標準的な50代では無いという自覚はあります。子無しのバツイチ夫婦。子育ても親の介護もしてきませんでした。双方の姉弟が同居で世話をしてくれていることにずっと甘えてきました。
駐在中はのほほんとブログを書いていましたが、私の本帰国を待っていたかのように実母倒れる。。。
そして、みなさんが最善を尽くしてくださった結果、母の「家に帰る」という目標がかなえられました。
駐在中はのほほんとブログを書いていましたが、私の本帰国を待っていたかのように実母倒れる。。。
昨晩は、唐突に決まった初めての母の一時帰宅。何の心構えも無い我々に、大学病院の患者サポートの方が介護ベッドや介護タクシーなどの手配をしてくださいました。弟と交代しながら48時間の完全介護です。一部医療行為も必要で、事前に看護婦さんから数回レクチャーを受けました。病院の皆様の協力で果たせた一時帰宅、救急車を呼ぶような事態にならず予定通りに病院に戻さねばと思うと緊張します。
今のところ、母の就寝後1時間ごとに非常事態が起こってます…居眠りする暇もない💦
本来一時帰宅が叶うような容態で無いことは家族の目からも明らかでしたが、本人の強い希望を叶えることが今後の加療のモチベになるであろうという主治医の決断で実現しました。
退院前はやせ細って病院食もほとんど喉を通らず、毎日「6分粥数口分」程度の食事しかしていませんでした。
それでも先生方や看護師さんたちは母の望みに応えるべく懸命に努力してくださいました。仕事とは言うものの、患者と家族にとってのベストを真剣に考えて処置に取り組んでくださる医療関係者の皆さんには頭が下がるばかりです。
まさにこれが、先生が本人に生きる気力を取り戻してもらたいと期待したことなのだろう、と美味しそうに普通のご飯を食べる母を見て思いました。
一方、家に帰って目に生気が戻った母を喜ばしく思うと同時に、気力体力的にも金銭的も介護が如何に大変なものかも実感しています。
じつは、母の介護と並行して、父に補聴器を付けてもらうというミッションも進行中です。「聞こえる」と言い張る父を説得して耳鼻科へ補聴器店へと連れ出しています。
日本では補聴器の着用率は欧米各国よりかなり低いとされます。補聴器の販売を眼鏡屋が請け負っていることが多く『聴こえの衰え→耳鼻科受診→補聴器店の紹介』という流れが確率されていないことが原因かなと。
今回、父と一緒に補聴器について勉強してみて、自分が如何に補聴器についてわかっていなかったかを知りました。眼鏡とは全く仕組みが違う! 日本ではその事について知る機会が殆ど無いため、高齢になってからではそれを理解するのがとても難しく、故に”補聴器を付けるとウルサイから止めた”という人が多い、、、父は何年も前から私達よりずっと静かな世界に住んでいて、そしてそれは私にももう少しずつ 始まっているのですね。。。
親の介護を機に、高齢化社会、介護問題、介護サポート、医療、さらには補聴器の真実まで、これまで真剣に向き合って来なかった現実を突きつけられました。
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