父がつけている出納帳と、母が使っていた金ピカの長財布。今は父が担当です。
几帳面でお金の遣り繰りが天才的に得意だった母は(私も弟もその才能を受け継げなかった😓)、昔から家計簿をつけていました。父はよく母のことを「秘密の打出の小槌を持っている」と言ってました😄 そして、おくすり手帳同様、何年分もの家計簿が母の作業スペースに積まれていました。
が、母の葬儀が終わって程なく、どちらも父がきれいさっぱり片づけてしまいました。
母が家計簿のメモスペースにちょこちょこと書き込みをしていたことを、私たち家族は皆知っています。敢えて覗いたことはありませんが、目に入ることはありました。
父「家計簿は処分していい?」
私「お母さんが書き残したメモもあるけどいいの?」
弟「読みたくなるようなことは書いてないから」
みんな知っているのです。母が、私たちにわかってもらえない体や心の痛みや不安を一日の終わりに時々メモしていたことを、、、だから、私たちが今更それを見ても居た堪れなくなるだけだ、と。
誰にもどうすることもできなかった、と思います。
母はずっと病院に通っていました。健康自慢の父は母にかかる膨大な医療費にイヤミのひとつも言ったことはないですし、母もそれを感謝していました。
家族みんなが母への労りの気持ちをずっと持ってきましたし、母もそれをわかっていました。
それでも、母の病気が重くなっていった一番の要因が「心」にあったことをみな薄々感じていたからこそ、十分に力になってやれなかった罪悪感のようなものをそれぞれが今抱いているのでしょう。
時薬、ですかね。
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