今朝、森永卓郎氏の訃報がありました。「痛くなってきた」と発言されていらしたので、長くないと思っていました。母も亡くなる数日前から「痛い」と顔をしかめるようになり、最期の夜は歯を食いしばって痛がる母を前に父と弟は「心が折れそうだった」と。
私は、ガンの最期は痛いと見聞きして知っていました。最期を予測していた訪問医から段階的な痛み止めを処方されていましたから、「家族の力で苦しみから解放してあげて」と父にメールをし、二人に送り出してもらいました。
几帳面で頭の良い母だったので、相続については前々から勉強してよく考えていたようです。
いざという時に備えて「エンディングノート」を書いておきましょうと言われるようになって久しいです。
母も持っていました。でも、ほんの数ページ、少し書いてみたところで放置されていて、実際にはほとんど役に立つことは書かれていませんでした。8年前の年齢が書かれていたので、書く元気はまだあったと思います。
5年前の義父の時も、「書いていたような、、、」とみんなで探してみるもなかなか見つからず、やっと見つけたそれらしきノートに挟まれた少しばかりの走り書きのメモを頼りに、わずかな義父の希望を汲み取って葬儀を行いました。
書いておいてくれると家族はありがたいです。
訃報を知らせたい知人友人、どんな葬儀を希望するか、遺されたものをどうして欲しいか、結婚前の人生など、、、
でも、いざ書こうとなると難しいものなのでしょうね。
まだ自分の死を意識できない年齢の時には書く気など起こらないし、あまり早く書いても後で気持ちが変わるかもとも思うでしょう。でも病気になって死が現実のものになってくると、「書いていると気持ちが沈む」そう感じて筆が進まなくなるんだろうなとも思います。遠からずやってくる自分の死を冷静に受け入れて死後を考えながらノートに書き残す、ってまあなかなかに心の強い人でなければできないことでしょう。
ちょっと調べてみたら、エンディングノートの認知度は8割以上、利用率は1割未満、とありました。
やっぱりか。
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